小さき旗上げ
堺利彦
*このページの底本は『堺利彦全集』第四巻(1971.6 法律文化社)文中の( )は原文ではルビ
。
画像は売文社時代の堺利彦(右から二人目)。左隣は山川均。
ときを作って勇ましく奮いたつというほどの旗上げではもちろんないが、とにかくこれでもちびた万年筆の先に掲げた、小さな紙旗の旗上げには相違ありません。まずは落人(おちうど)の一群が山奥のほら穴に立てこもって、容易に敵の近づけぬ断崖(きりぎし)をたのみにして、わらび、くずの根に飢えをしのぎ、持久の策を講ずるという、みじめではあるが、かつはいささか遠大の志を存する、義軍の態度であります。
したがって、明日や明後日に山を下って、敵の戦線に逆襲を試みるという企てもなく、またそれだけの実力もない。その点は敵軍におかれても当分ご安心あってしかるべく存じます。ただ遠近の同族とわずかに相呼応して、互いに励まし慰めつつ、おもむろに時機を待つの決心は、かなりに堅くいたしておるつもりである。
さりながらこの退いて守る山塞(さんさい)をも、なお必ず勦絶(そうぜつ)せねばならぬというので、敵の大軍がしいても押し寄せて来るならば、それは是非に及ばぬ、いさぎよく一戦を試みて運を天に任せるの外はない。
もしそれ、来たってこの山塞に投じ、あるいははるかにこの孤軍を援(たす)けんとする者があるならば、戦術の相違、軍略の差異、それらは今深く争いだてをする必要はない。ただ大同に従って相共に謀(はか)ればよいと信じている。
(大正四[1915]・九、『新社会』第二巻第一号)