社青同第二十三回大会宣言
1990年10月5日〜7日に千葉県・成田国際文化会館で開催された社青同第23回大会の宣言。
第二十三回社青同定期全国大会は、内外の激動する情勢のなかで開催され、連合下での我々の運動と組織建設の方向を全国の同志の真剣な討綸によって意思統一し成功させることができた。
独占資本は、国際競争力の強化、企業間競争に打ち勝つとして、あくことなく労働者からの搾取を強め、資本の合理化運動を貫いている。
その結果、生命や健康を奪われる仲間、自主退職に追い込まれる仲間、紙切れ一枚で「解雇」を通告される仲間など、労働者だけがくい物にされ続けている。
しかも、七五年の「赤字・不況」攻撃を出発として、「企業防衛」「雇用あっての労働者」という基準で「仕事」をせまり、労働者の意識にまでふみ込んできている。
大会では労働者の実態と資本の動きから今日の情勢をどう捉えるのかという点で、長期的で実践的な総括が持ちよられた。そこでは、八方ふさがりのような情勢に見えても、足を運びつかまれたものは「今の職場では身体が持たない」というなかで出向に応じたり自主退職に追いこまれていた実態であり、「もっと早く来て欲しかった」という仲間の悲痛な叫びであった。仲間のなかに広く覆われている常識やアキラメも資本との関係によって作られているだけに、そのなかでの「反作用」は、「頭は仕事優先であっても身体はついていけない」矛盾として現われている。それだけに、仲間のなかに見え隠れする反抗の芽を具体的な実践を通じ、生きた情勢として把握することが問われている。
この二年間、国鉄清算事業団労働者への指名解雇をはじめ、多くの労働者が資本との激烈な攻防のなかで苦闘を余儀なぐされた。そのなかでは敵が見えず仲間に目がいき個人の問題として放置されかねない状況も作られてきた。それだけに現に起こっている生命と権利の破壊の事実に立ち戻り、だれがそうさせたのかを明らかにし、こだわりつづけることの大切さが報告された。労働者のすべてを奪いつくそうとする資本への責任追及のたたかいをさらに強化しよう。
大会では反合理化統一闘争の強化のために、単産を超え国鉄闘争の位置と課題を学びあった。とくに分割・民営化は何だったのかが総括され、再強化の方向を見出す努力が行われた。その立場はJRと事業団、さらには民間職場で首切り撤回を闘う争議団、そしてどこにでもある日常の合理化と首切りの実態をつなぎ、統一闘争として学びあえる位置を示した。その意味で国鉄闘争に連帯する立場と中身が鮮明にされ、「自分の職場での合理化とのたたかいだ」ということが多くの同志から一様に言われた。
さらに大会では連合下での社会党、労働運動、青年部運動の強化と、そのなかでの共闘運動強化にむけて集中した討論がされた.とくにこの共闘運動を通じて明らかになってきたことは.職場で蓄積される不安のなかで交流を求める青年の姿であり、それに応える学習と交流の大切さであった。こうした青年を、当面する九一春闘、統一自治体選挙闘争を全力で担うなかで、企糞を超えた学習と交流の場を無数に作り、組織しよう。
大会では「生命と権利のたたかい」の再強化の方向、強調点の違いをめぐって真剣な討論がされた。しかしその違いは対立的なものでなく、深め合える統一的なものであると把握できた。それだけに古典・資本・仲間の「三つの先生に統一的に学ぶ」という立場をより実践的で具体的なものとして学びあう班・委員会討論が求められている。同時に大会ではこの討論を経て、情勢を生き生きと集約し学びあうものとしての社青同の委員会制度の重要性とその認識をかつてなく深めあうことができた。
階級矛盾が深く進行するなかで労組や企業の枠を超えて仲間の不満・変化が生まれていることが多く報告された。それだけに実態から資本主義の矛盾を説明しときほぐす作業が我々に求められている。どんなに困難であっても、古典学習を強めあきらめずに宣伝・扇動を組織し強めることが我々の任務である。
我々にとって宣伝・扇動の最大の武器は『青年の声』である。日常的に報告し、学びああう委員会討論を強めるためにも、全国の同志が通信を送り、自分で作った『声』を多くの青年に大胆に勧めよう。
社青同中央委員会は、今全国大会までの数ヵ月間で多くの地本が『声』拡大を達成した努力と、その行動を通じてつかまれた仲間の不満・怒りを集約するなかで、「紙代値上げ」よりも大胆な『声』拡大を提起した。そして大会ではそれを確認し、社青同全機関が本大会以降、『声』拡大に全力を挙げることを決意した。
多くの青年に呼びかけ、『声』二〇%拡大、組織一〇%拡大をやり抜こう。
右、宣言する。
一九九○年十月七日
日本社会主義青年同盟第二十三回定期全国大会