日本社会主義青年同盟第二十一回定期全国大会宣言
1986年10月10日から12日まで茨城県勝田市で開催された社青同21回大会の宣言。『青年の声』No.1243(1986.10.27)掲載。
社青同第二十一回定期全国大会は、大きな攻防を迎えた国鉄「分割・民営化」攻撃、そして国鉄労働運動、社会党・総評労働運動の「節目」ともいえる国労大会開催の真っただ中で開かれた。三日間の熱心な討論は、政府・独占資本への怒りとたたかう決意を改めて強固にすることができた。
大会は、国鉄闘争を柱にした反行革統一闘争強化の報告が活発に行われた。とりわけ国労・動労の同志の奮闘は、全同志に大きな勇気を与えた。国鉄当局の専制的な攻撃のなかでも、労働者思想を売り渡すことなく、生命と権利の視点からの反合理化闘争を追求し、首切り自由を許さない社会をめざす闘争の報告は、全労働者共通の課題である。
しかも今回ほど、一つの産別のたたかいを、民間や全電通など企業を超えて報告し、まなびあった大会はかつてない。多くの代議員が「国鉄闘争は自分の課題」と自らの経験を踏まえ報告したように、今日の情勢は国鉄闘争を階級闘争の焦点として一人ひとりが構え、たたかわざるをえないことを示した。
この間、独占資本の不退転の決意で強まる攻撃、社会党・総評労働運動の右傾化のなかで、同盟員自身にもアキラメ、恐さそして孤立感をもたらした。「首が切られないなら多少のことはガマン」という「雇用確保」路線の土壌は、他人事ですまされない。産業転換に名をかりたスクラップ・アンド・ビルドの合理化の嵐にさらされる造船の同志は、同盟員自身が「社会主義は非現実的」で「出向・配転・希望退職が現実的な解決策」となっていないか、と自らの反省をこめて指摘した。
多くの困難、苦しい実態を前に、労働者一人ひとりは、資本の競争戦に屈服して生活を守るのか、それとも資本に抵抗して生活を守るのか−−この二つの道の選択を鋭く迫られている。だからこそ、労働者の解放をめざし反合理化闘争路線を堅持する国労の仲間が、職場で抵抗闘争をたたかい続ける意味は、資本家階級にとっても労働者階級にとっても“階級闘争の焦点”なのである。
大会で浮きぼりにされたのは、「行革」下のすさまじい労働者の生命と権利の破壊である。大量の首切り、そして一方で自殺、現職死亡、労災・職業病の多発、病弱者・り病者の排除など、まさに“去るも地獄、残るも地獄″である。
資本の競争戦に表面上は組織されている仲間も、家庭まで足を運び、その実態・気持をつかめば、健康や明日の生活に不安をいだいていることも学んだ。そして自分と仲間の生命と権利の実態をつかみ、こだわり、闘争に組織したときにこそ、仲間の変化・労働者の成長、社会党・総評労働運動の階級的強化への展望をもつかむことができた。全電通の同志は、統制処分をうけながらも、十年間にもおよぶ抵抗を組織するなかで「労働組合の階級的強化は必ずできる」と自信に満ちて報告した。
また資本との激しい攻防のなかで同盟員自身のたたかいにくい条件も多くなっている。しかし悩み、ぶつかり、家庭の問題などをかかえながらも、それを討論することによって、誰がそうさせているのか、敵を明らかにし、支えあい励ましあう班があればたたかい続けられると報告された。
今後、国鉄闘争を軸にした反行革統一闘争は、いよいよ重大な正念場を迎える。しかも「行革」の政治的目的である国家権力の再編強化、政治反動とのたたかいもますます強化しなければならない。社会党の「新宣言」路線、総評解体・全民労連移行をめぐる路線問固も重大な局面を迎えている。だからこそ社会主義をまなぶ青年政治同盟の任務もその大きさを増している。
私たちは今大会で確認されたように、これまでどおりマルクス・レーニン主義に学び、「生命と権利」の視点にもとづく反合理化闘争を強める以外に道はない。何よりも今後の階級闘争の行方は、国鉄闘争を軸にした反行革統一闘争の強化いかんにかかっている。そして階級闘争の武器である全国機関紙「青年の声」の活用と拡大、同盟員拡大を目的意識的に進めなければならない。財政の困難さも「生命と権利」のたたかいと一体で克服しなければならない。
今大会の成功は歴史的な位置を占めているといっても過言でない。今はたとえ孤立し小さく見える力も、正しい主張と闘争があれば全労働者を揺り動かし、飛躍的に大きな力となるだろう。社会主義への不動の確信をもってたたかい続けるためにも、古典、資本、仲間に学び前進しよう。幾百万の青年を組織し、国鉄闘争を階級闘争として発展させるために全力を上げよう。
右宣言する。
一九八六年十月十二日
日本社会主義青年同盟
第二十一回定期全国大会