日本社会主義青年同盟第18回定期全国大会宣言
*1980年10月10日〜12日埼玉県秩父市で開催された社青同18回大会の宣言。出典は『青年の声』936号(1980年10月27日)
われわれ社青同は、三池と安保の歴史的闘争を通じて結成されて以来、二十年を迎えた。その歴史は、絶えざる独占資本の攻撃との苦闘の歴史であり、同時に「左」右の日和見主義との思想闘争の歴史であった。
われわれは何万人という多くの戦士を社会党、総評の隊列に送りだしてきた。今大会を通じても、すぐれた多くの仲間たちを送りだすであろう。しかし、同時にたたかいのさなかに傷つき、倒れた戦友も多い。ある者は敵階級の合理化攻撃によって殺され、また、ある者は資本の苛烈で巧妙な攻撃によって力つき、前線から一時的に後退した。
われわれがいかなる困難や一時の「敗北」にも屈せず、前進また前進を目ざし続けることができたのはマルクス・レーニン主義に学び続けたからであり、資本主義の「窮乏化法則」に依拠してきたからである。
今大会は、七〇年代後半の日本独占資本の圧倒的ともいうべき不況合理化・政治反動の攻撃と、それに反撃しえず後退を重ねた社会党、総評の現状、とりわけ党の「道」改訂、労働運動の右寄り再編の動き、そして労働者の労働強化と低賃金からぐる不満の増大という階級対立の激化の中で開催された。
この間、われわれは資本の「会社あっての労働者」という首切り、賃下げ攻撃に対して、生命と権利のだたかいを執拗に組みあげてきた。科学的社会主義の思想に導かれながら、職場の仲間たちや自分の生活と労働の実態をつかみ、「労働者に会社赤字の責任はない」「会社が倒産しても俺たちは生きねばならん」「労働者は社会の主人公」と反撃し、“一人の首切りも許さん”“人間らしく生きるための大幅賃上げ”と要求し、たたかってきた。
今大会は、この生命と権利のだたかいを再強化することが課題であった。
今大会は、この課題に十分に応えた。
活発な討論が展開された。発言通告は二百六十九にのぼり、発言を求める挙手は意気さかんであった。
反合理化闘争、反失業闘争、大嶋賃上げ、日朝連帯のたたかいに関する発言があいついだ。
「仲間だけでなく、自分も、家庭も、健康もメタメタにされている」と報告された。まさしく去るも地獄・残るも地獄の実態がだしあわれた。
同時に、「それでもたたかうのが恐ろしい」との率直なたじろぎもだされた。あまりの非難の集中に、「社青同をやめて、ひっそり活動しようかと思った」という報告もあった。
われわれは今大会の討論から、たじろぎ、迷いは、「資本主義は人殺し」という仲間たちや自分のありのままの実態をつかみ、仲間たちのたたかう本音をひきだすことで克服する他ないと学びあった。ある職場での奥さんの「金も、就職もいらない。殺された夫さえ返してもらえば・・」との涙ながらの訴えが職場の仲間を動かし、組合全体のだたかいにさせたという報告や、わが子を殺された仲間の「わが娘の死は一生忘れられん。絶対に資本主義を許さず、たたかう」との報告が、これを示した。
日朝連帯をはじめとする政治的な課題についても活発に討論された。
ここでは戦術や活動の重点をめぐる部分的な論争もあった。しかし、それも社会党、総評を本当に労働者の利益を守る中心勢力として強化しなければならないという今日的な課題に応えるための論争であった。
われわれは、同志的で、民主的な、そして具体的な闘争経験をふまえた討論を通じて反独占・階級闘争の立場に立って、よりいっそう反帝国主義、国際連帯のだたかいを強めなければならないと決意しあった。正しい戦術上の「妥協」は、常に過程を精いっぱいたたかうなかでしか勝ちとられないことを学んだ。
今大会の反合闘争、政治闘争、組織・財政活勣をめぐる討論全体を通じて、“生命と権利”は戦術ではなぐ、資本のもうけのために酷使され傷つけられてきた労働者階級が、人間として働き続け生き続ける“生き方”としてのたたかいであり、労働者思想を確立することであると学んだ。われわれが苦しくても、社青同で頑張り続けるのはこのためである。労働者の利益を守るために、われわれは社青同の強化・拡大に奮闘するものである。
今大会に結集したわれわれは、かげながら支えてくれた全国の同志たち、先輩、友人のみなさんに、そして働く幾千万人の仲聞たちに今大会が結成二十周年にふさわしい成功を勝ちとったことを報告する。
われわれ社青同の前途は、今後も容易ではないであろう。資本主義の下では「負ける」ことが多く、「勝つ」ことは少ない。
しかし、われわれは敵階級の攻撃に屈しない。苦難のたびにたくましぐ、大きくなり、働く仲間たちとともに労働者階級の解放をめざし、階級闘争路線を学び、たたかい、組織し続ける覚悟である。
右、宣言する。
一九八〇年十月十二日
日本社会主義青年同盟第十八回定期全国大会