学生運動の再建・統一にむけ階級的学生運動の全面展開を!!
全国学生班協議会書記局
*『組織者』No8(1973.10)掲載。全国学協再建後の社青同学生運動の意義と任務をまとめたもの。 pdf版
T 学生運動の到達点と方同性
1 階級的学生運動の出発
七〇年代に入り、世界の資本主義の深まりゆく危機の拡大は、その結果としてプロレタリアートを中心とする勤労諸階層に対する攻撃を増々激化させている。更に又、危機感に満ちあふれる政府独占資本は今や教育の全面的掌握に向けての攻撃をも強化してきている。しかしそれは、資本の下に包摂されようとしていたプロレタリアートの雄々しい反撃と抵抗とを一方に呼びおこさざるをえなかった。
混迷と停滞をつづけてきた日本学生運動は、かかる情況の中、中教審路線の実質化の急激な進行に伴う矛盾のうっ積と正しい路線を持った主体の形成によって、今その曙を迎えんとしている。長らく日本学生運動の栄光を蹂躙してきた小ブル運動は瓦解の途をたどり、民青系の運動のもつ限界も赤裸々に暴露されつつある。現状の打開と、その展望は階級的学生運動の全面展開によってしかありえない。
全国学生班協の再建として克ちとられた橋頭堡を更にうち固め階級的大衆的自治会建設に向けて、その努力を傾注し、崩壊し形骸化した学生自治会の内実を形成していかなくてはならない。何よりもプロレタリアートの階級的ヘゲモニーの下、それと連帯し、反独占統一戦線の一翼を担いうる学生戦線の構築に向けて、社青同全国学生班協が、その推進軸とならねばならない。
いわゆる六六年九月の解放派によって惹き起こされた「九・三事件」を契機として全国学協は事実上崩壊した。社青同の正しい路線の下六六年十二月再建された東京地本学生班協は、「小さき旗上げ」ではあったが、階級的学生運動の確かな出発点であった。時はまさに六〇年安保闘争以降の後退した学生運動が徐々に上昇傾向を見せはじめた時であり、日韓闘争、ベトナム反戦闘争、慶大、早大などの学費闘争などの闘かいの炎が全国各地で形成されつつあった。我々はかかる情勢を正面から受けとめていた。
2 同盟学生運動論の形成と展開
六七年に入って立川基地拡張阻止闘争、羽田闘争、更に六八年エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争の中で、小ブル急進主義は全国的に開花した。そして六八年五月からの東大闘争、及び日大闘争は全国教育学園闘争の突破口であり、それはまたたく間に全国に燎原の火の如く拡大した。
我々は、それまでの東学館闘争をはじめとして、いくつかの諸闘争の具体的な闘争総括をふまえ「教育闘争を基調とする学生運動」論を構築してきつつあった。それは第一に学生運動を形成する基礎としての「社会的基盤」を明らかにし、第二に、その上にたっての「階級形成」の間題と、第三に全体の階級闘争との関連を解明していくことにあった。
すなわち、学生の勤労諸階層からの出身の比率が増大してきていること、しかも高等教育が中・高級の労働力養成の場として変化してきていること。全体としては中間層として位置づけられながらも、学生の構成要素に着目し、学生の存在基盤である大学及び教育へのあらゆる政府独占資本の攻撃に対する闘いを運動の基礎に据えていくこと、そして、これらの運動の長期的、持続的な展開によって現体制の矛盾を自覚させていくこと。同時に重要なことはプロレタリアートの階級的ヘゲモニーであり、この前提がなければ「自己の成長が革命の条件の成長と錯覚する」小ブル急進主義への傾斜が不断に生み出されざるを得ないということである。
その後、教育学園闘争は予想を越えた高揚をもたらし、不可避的に国家権力との対決を迫られた時、闘いの方向は大きく変化した。六〇年代の資本の攻撃の前にプロレタリアートの右傾化が進行している時、「革命情勢」と考えた小ブル急進主義の方向は、形成された「全共闘」を七〇年安保=沖縄闘争を目指した闘争機関へと移し変えていこうとするものであり、横行した「政治主義」は大衆運動の分解化と党派系列化をもたらしていった。
六九年一月に安田講堂が「攻め落され」てからの運動は、この道をつっぱしり、「革命夢想症」や、それに反発しつつ「全共闘」−学園の窓から政治を見る傾向が多く生まれた。古く克服された「革命理論」があたかも「新しいもの」として登場さえしたりした。対抗軸であった民青は小ブル運動に反発する部分をまきこみ「協議会路線」へと焦点をしぼり、闘争圧殺の攻撃であった「自主改革」路線へとのめりとんでいった。
3 教育闘争再生の不屈の闘い
六八一六九教育学國闘争は、その闘いの中で「全共闘」という闘争機関を生みだした。我々は、その特異性と成立要因を第一に、それ以前における自治会運動の「民主主義」−学生大衆の意思反映の弱さが、高揚期における有効な闘争機関を生みだしたこと。第二に「反既成」を叫ぶ小ブル急進分子の「ポツダム自治会ナンセンス」の意識にヘゲモニーが取られていったこと、以上の二点から把えてきた。小ブル分子は「反既成」の特別な意味をそれに与えた。我々は第一の観点から階級的大衆的自治会建設の過渡的形態として把握し、「全共闘」運動の中で生み出された多くの学友との接触を強化し、かつその中にあって闘いを進めてきた。今日の階級的学生運動の発展の基礎は、この六八−六九闘争の中で培われてきたといえる。「教育闘争を基調とする学生運動」の論的深化を通じ、階級的学生運動の先進層がうち固められていったこと、又他方、その先進層は階級的学生運動が全国学生戦線を凌駕するには「統一戦線を指導しうる能力」の獲得がなされなければならないことも明らかにされた。
六九年秋における「全国全共闘」の結成は「全共助」運動の実際的な終焉であった。我々は佐藤訪米阻止闘争を前にそれと訣別した道を取った。
各学園段階では先述した党派の否定的情況と敵の巻き返しにあい「重たい情況」が生まれつつあった。小プル急進運動は七〇年安保・沖縄へと課題を乗り移ることによって命を永らえようとした。教育学園闘争は明らかに後退局面に入り、当局の「自主改革路線」が幅をきかせ個別大学毎の長期計画(大学編成)がうちだされてきた。民青同が失地回復にやっきとなったのもこの時であったが、「武装」解除のなかでそれぞれか追求できるわけではなかった。
我々は敗北し後退しつつある各学園情況のなかで「教育闘争の再生」を主張し、後退するなかでの抵抗戦を組織することを確認した。言葉では言われていた「長期抵抗大衆闘争路線」の内実が問われはじめていた。「負けた軍隊はよく学ぶ」といわれるが、こうしたなかで個別学園での闘争の展開を追い、雪崩をうって日常生活へ回帰していく学友に対する組織化がなされていった。「自主改革略線粉砕」のスローガンは「後退戦のなかでの任務は何か」という意味できわめて重要な意義を獲得した。
4 攻撃の激化と学生戦線の現状
闘争の後退局面における攻撃は必ず、学生側の要求を受けいれる形で行なわれてくる。「自主改革路線」はその象徴であった。我々は六八一六九以降の学生戦線の否定的現実を先述した主体の側の問題を含みつつも、新らたな攻撃の質の進行過程として見つめた。「戦術的後退を通しての戦略的攻勢」という基本構造をふまえるなか、不退転の「低迷期を突破する階級的学生還動の展開」こそが間われたのである。
かかる学生戦線の否定的情況は、中教審路線の実質化の進行過程、つまり教育再編攻撃と同時並行した学生団結基盤の破壊・更に矛盾や不満の当局への秩序づけ等の攻撃の結果であった。我々は「教育闘争の再生」というスローガンに加え「クラス・サークル・ゼミへ」としての活動を重視した。しかしそれは情勢から見て、すぐさま成果を期待できるものではなく、活動家を消耗させるためには十分な苦闘の連続であった。後退期における我々の闘いの評価は七一一七二の学費闘争を待たねばならなかった。
現在我々は学生戦線の状態を「上向過程」として規定し、その主体的条件を次の二点から整理してきた。第一には学費闘争等を通じての広範な学友の闘争経験の存在。第二に政治的課題等に対する闘いにおけるプロレタリアートの立ちあがり−政治的左傾化を積極的に位置づけていった先進的学友の政治的経験の存在である。
広範な学友の闘争経験は深まりゆく攻撃の結果としての矛盾に対しての目玉を訓練してきており、現在の階級情勢を正しく把握し、その方向性と任務を提示し献身的活動が先進層によってなされるならば、学生運動の混迷が脱皮できるのである。しかしそれは、攻撃の急激な進行のなか混迷と停滞はいつまでもつづくものであり、上向過程は我々の主体的な活動をもってはじめて現実化するのである。
5 統一戦線の一翼担う我々の任務
我々は展望を切開く為に次のような任務を遂行しなければならない。
第一に自治会の再建、自治会民主主義の再生を克ちとらなければならない。政府独占と、それに追随する当局の攻撃の結果のなかで学生が矛盾を矛盾として不満を不満として自覚する過程が著しく疎外されているという現実。大衆が自ら経験を経て自覚していく運動構造の欠落を問題にしなければならない。
学費闘争が明らかにしたことは、かかる否定的な大衆組織の機能に対する問題意識の醸成であった。「闘争は必らず依りどころとしての学生団結の場の形成を促す」ことを通して、それは意識されはじめたのであるが、このような総括提起は我々だけである。
大衆組織の「機能回復」の闘いを自治会建設へと結実させることは我々の任務であり、それは闘いの出発点のみならずまさに今日の敵の攻撃に対決していく重要な環なのである。
第二にすべての運動に反独占の質を獲得しなければならない。
我々はこの間、階級的学生運動の成立根拠を明らかにしてきた。それは学生大衆がいかなる団結の質を獲得しうるのかということを意味する。
六〇年代において明らかになった学生の社会的存在の変化は、独占資本の死活をかけた技術革新、合理化に伴う有効な労働力創出の為の教育に対する攻撃の強化のなかで表われてきた。それは相対的労働者階級の子弟の増大及び将来労働者にならざるを得ない存在としての学生大衆の増加としてあった。しかし、それのみでは、学生の現存在を契機としての意識発展の根拠としては不十分であり、我々は「学ぶことを通じて」の存在、「教育をうけるものとして」の存在という学生の存在条件自体と、資本の不断なる「価値増殖」の為のブルジョア教育との利害の対立、その非和解性を問題にしなければならない。それは今日では、独占費本の教育の全面掌握に向けての攻撃の強化のなかで、より明白にならざるを得ない。我々はあらゆる運動に「反ブルジョア教育」「反独占」の質を獲得し、反独占統一戦線に依って立つ中味を今こそ準備しなくてはならない。
第三の任務は戦線統一を断固として成しきらねばならない。
混迷し四分五裂の学生戦線の統一の為、我々はその中核となっていかなければならない。偏狭な宗派主義を排し、すべでの諸雑派を包摂し、いま何が問われているかを明らかにし、第一、第二の任務を打ち固め戦線の統一を成さねばならない。更に深りゆく教育の帝国主義再編に抗し、その闘いを展望するならば主体の側の戦線統一による力の結集は決定的といわねばならない。拡がりゆく反撃の戦線とその階級的統一は勝利の環である。宗派系列化された戦線と運動を乗りこえる中身は、敵の攻撃の質が何かを見抜いた我々こそが、自らの「統一戦線を指導しうる能力」の獲得を通じて克ちとるものである。
以上の任務を遂行し、反独占統一俄線の一翼を担う学生運動の全面展開を。かかる闘いの勝利の展望はプロレタリアートの階級的ヘゲモニーに依拠しきる中でしかありえない。尚一層「反独占統一戦線の一翼を担う」為の質・量の飛躍を克ちとらねばならない。「教育闘争を基調とする」学生の意識発展の筋道の中で到達しうる「反ブルジョア教育」「反独占」の意識の解決の指標は、階級闘争本隊であるプロレタリアートとの連帯・依拠によってしか確立しえないからである。
(「青年の声」号外、『学生運動特集』より転載)