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社青同第三十回定期全国大会の意義と課題
                            
*2004年10月15日〜17日に開催された社青同第三十回大会決定の主要部分。社青同機関紙『青年の声』に掲載され、『社会主義』04年10月号に転載された。ここでの出典は『社会主義』04年10月号。  全文(zip)
1はじめに

 資本主義が抱える矛盾は、政治・経済・社会のあらゆる分野で広がりを見せ、より深まりつつある。七月の参議院議員選挙は、「自民党の大敗」とは言えないまでも、危機的な生活・労働実態に置かれている勤労国民の雇用不安、社会保障不安といった意識と怒りが、自公政権に対して示された結果だと言える。一方の野党勢力も有権者の十分な信頼を得ているとは言い難く、組織労働者をも含めた「政治不信」は、高まり続けている。この不信の背後には、労働者の不満の高まりがあり、現実の社会で起きている事態に応えられなくなっている社会構造そのものを問題にせざるを得ないという不信感につながっている。

 私たちは、前回大会において、職場・地域で起きている事実、同盟員の努力を持ち寄り、「発展の芽」を確認し合おうと討論した。大会では「労働者同士の反目」「人間関係の悪化」が特徴的に報告され、そのぶつかりが起きている背景や原因、仲間が持つ不満や不安がどこに、どのように存在しているかをつかむ努力が持ち寄られた。

 資本主義が生み出す合理化は、職場で働き続ける権利を奪うのみならず、生き続けようとする労働者の思いをも奪い、労働者一人ひとりの分断と孤立化は職場だけではなく、労働組合の場でも如実に現れてきている。そうしたなかで、仲間をどう見るのか、職場をどう見るのかこそが問われた。より多くの事実をつかむ作業と仲間の思いを共有化する実態討論、それらを集約し、学び合う委員会活動の強化が課題であると意思統一した。

 今大会でも、同盟員一人ひとりが置かれている位置でつかんできた職場の情勢、仲間の思い、同盟員自身の思いと実践を集約し、「反撃の芽」を明らかにしていこう。

2労働者の窮乏化と社青同の位置

 職場では労働者の窮乏がますます深まると同時に、労働強度の増大、仲間との対立のもとで、同盟員自身の中にも不安と動揺が拡大してきている。委員会討論では、この不安と動揺も労働者の現実として受け止め、討論の中で率直に出し合おうと提起してきた。

 公社化から1年が経過した郵政職場からは、人事評価導入後の変化が報告されてきた。
 ――集配職場では今まで助け合って作業してきたが、人事評価導入後、こうした関係が崩れてきている。比較的配達が早く終わる「カルイ」一区の担当が「キツイ」四区を手伝うと時間内に終わるものの、人事評価では複雑になってくる。一区が空いた時間で四区を手伝いに行けば○、手伝われた四区の方は△、手伝わずに帰局すれば「なぜ手伝いに行かないのか」で△、全体で超勤をすればコスト意識や配達能力の不足で△と評価される。こうなると個人に目がいく状況となり「アイツはいつも楽な区ばかりでずるい」「超勤しないと終わらない区ばかり俺にまわすな」「通区を早く俺にさせてくれ。楽なところに行きたい」と言い出す人も出てくる。さらに「手伝われるのはうれしいが、それを報告されると自分が仕事のできない人間に思われるのでイヤなんだけど…だからと言って一人でやっても超勤になる…一体どうしたらいいものか」とボヤキも聞こえる。職場で話し合っても「区のアンバラを当局に理解してもらうには手伝わないと終わらないという事実を分からせるしかない、だから手伝った時はちゃんと報告しよう」「だけど、そのために△評価になるのはおかしくないですか?」というジレンマに陥ってしまう。真面目に働こうとする労働者のどうにもできない不条理な実態が強烈に作られてきている。

 職場間・企業間の生き残りをかけた競争は、仲間同士の競争や反目を作り出す一方で、労働者一人ひとりの「責任」を強調してきた。職場の統廃合が進む農林職場では、「農水省の官僚が出す仕事だが、やった仕事は現場の個人の責任になる。組織が守ってくれないから自分の実績を残そうとして、自分で考えて仕事を進めてしまうが自己責任を問われるミスと表裏一体」という事態の中で、職場そのものが残るのかという不安と仕事に誇りを持ってやってきたことが統廃合により見直され、「どうしたらいいんだ」という状態が作られている。突きつけられる「自己責任」に対しても、仕事に追われ、「『社青同は合理化に対して職場でどう闘いを構築していくのか』だったはずなのに、同盟員自身が仕事の自己責任から逃れられない、『できない』と言えない実態に置かれてきている」といった苦悩が、仲間とのぶつかりだけではなく、同盟員自身のぶつかりともなってきている。

 こういった実態は、官民を問わず、生き残りをかけた競争を最優先にするしかない職場の状態が根本にある。しかし、それを問題にする以上に目の前に山積する「仕事量」と「責任」につぶされかねないほど追い詰められてきている。このことは「学習と交流」の場に主体的に集まることができる同盟員であっても例外ではない。

 しかし、揺れ動く思いは、現実の社会によって作り出されたものである。働き続けたいという思いの中で、駆り立てられていったことが、仲間や自分自身の働き続ける条件を奪っていき、その下で動揺も生まれる。この動揺の中にこそ、この社会の矛盾が深く隠されている。職場の仲間と共に動揺する事態に正対し、事実をつかみ、仲間の思いと自分の思いに共通する基盤を発見し、共有化することが成長の第一歩であり、反合理化の闘いにつながるのではないだろうか。

 大会では、職場で起きている事実と、そこから生み出される仲間の状態、同盟員の状態を持ち寄り、学び合うことを第一の課題としたい。

3仲間の思いを共有化する努力

 二年間の討論のなかで、労働運動や社会主義運動が、後退・低迷しているなかにあっても仲間の実態をつかみ労働運動の前進、社青同運動の組織建設に向けた努力が集約されてきた。

 労働組合の役員を担う林野職場のT同志からは、組合員の「思い」と執行委員の「要求」の違いから自分自身の変化を報告している。

 ――営林病院の看護師をしていたMさんは、病院の廃止後、森林事務所の森林育成係に異動し、四年余り経過している。その後職場の統廃合が行われた。三署分の仕事を一署で行うため、造林事業の契約箇所が三〇〇箇所を超え、その確認作業も一人で行うことになった。

 統廃合後の職場は、係長が未配置で、技術専門官が事務取扱いを兼務していた。その専門官は森林育成とは畑違いの生産事業に携わってきた人で、森林育成係の仕事はよく分からない。周りのMさんを見る目は「Mさんは以前に、森林育成係にいたから大丈夫」であり、「本当は仕事が分からない」という思いを言えずに仕事をしていた。分会青年女性部の集まりでは、業務量の多さや一人で仕事を進める不安から「係長を配置してほしい」と何度も言っていたため、Mさんの思い(要求)は「係長の配置だけだ」と定時に帰るMさんの姿を見て思い込んでいた。

 しかし、「今年の四月から係長が配置されることになったけど、業務で分からないことや不安はありますか」と聞いてみると「昨年は、忙しくて日中には契約箇所を確認することができないので、自宅に持ち帰って確認していた」「四月から仕事を始めるためには、三月に管理局に報告をしなければならないが、何をどうすればよいのか手探り状態で不安だ」「新しい係長は仕事は分かるのか。分からない時は、誰に聞けばよいのか」といった不安や不満が一時間以上も出された。自分自身も職場に入り一二年が経過していても分からないことが多いなかで、四年という短期間で「一人前」の仕事が求められ、職場の急速な変化に必死についていこうとするMさんの姿がある。この間の合理化で、職場が廃止され、誰もが「即戦力」であることを求められ、「分からない」と言えない職場になってきていると痛感した。

 そして、これまでオルグなどを通じて現場の実態に目を向け、組合員の思いに触れようと意識してきたことは無駄ではなかったものの、執行委員会やオルグを実施したという「既成事実」を単に積み上げて、労働組合の任務を少なからず果たしているという自己満足に終っていたのかもしれない。労働組合の集まりだけではつかみきれないことがあると感じた。単に手段や手法の問題ではなく、日常的な人間関係の中で「信頼」がなければならないし、その信頼関係を構築するために、自分自身を常に「批判の場」におき、組合員と向き合わなければならないと思った。

 林野職場が置かれている厳しい情勢のなかで、労働組合として闘っても勝ち取れることが少なく、今ある労働条件すら守れなくなってきている。さらに、労働組合が行う「仕事の調整」も果たせなくなってきており、日常の業務を進める全ての判断や調整が「個人の努力」だけで何とか回っている実態がある。一方で、組合員のアキラメの気分や労働組合への期待の表れが、時には「労働組合は何をやっているんだ」という批判となって突きつけられ、組合役員を辞めたくなる気分も存在している。

 しかし、今回のことを通じて、組合員は労働組合の方針ではなく、「何を言っても受け止めてくれない」労働組合の役員を信頼していないのではないかとも感じた。組合員が、一人ひとりの要求の裏側にある「合理化のなかで必死に働いている思い」を受け止めてほしい∞理解してほしい≠ニ訴えていることに対して、表面上の実態や要求に対する対応策や解決策を模索している自分の姿があったのではないかと思い返す。

 要員不足から係長が空席になり、係員であっても係長と同等の仕事量と責任を持たされることで、係長への任用を自ら求め、「労働者の生命と権利」よりも仕事を優先してしまう組合役員の状況もある。合理化が進めば進むほど「係長」としての立場で「仕事の効率性」を求め、職場の事象を見てしまう気持ちがあり、仲間の働き方に対しても攻撃的とも思える言葉を発してしまうことが多くなってきている。当局以上に、組合役員が直接的にも間接的にも「労働強化」を求め、誰が当局なのか、誰が組合役員なのか分からなくなっているなかでは、組合員の窓口、受け皿にはならない。そういった現状を集約し、そこから出発しようと考えていけるような社青同運動を作っていかなければと感じた――。

 組合役員を務める多くの同盟員が職場や組合、仲間とぶつかりながら運動の中心を担っている。労働組合が全てを解決することは困難ではあっても、仲間の思いがどこにあるのか、その思いを共有化することが労働運動の前進につながるのではないか。

 自治体職場のN同志からは、青年の率直な思いに学ばされ、自分自身の変化と組織拡大の展望が報告がされている。

 ――環境クリーンセンターで働くH君が、「勉強に行きたい」と全国青年団結集会に同じ職場のK君を連れて参加することになった。自分は、地区実の代表者として同行した。
 出発日に空港の食堂で、H君とK君が四月から始まる分別収集強化のための透明ごみ袋の導入について語りだした。今の黒いゴミ袋は中身が見えないので、透明のごみ袋で出していない場合には、持ち帰らずに啓発シールを貼ると決まったのだが、彼らが言うには「マンションのごみ袋に一個ずつシールを張っていくことなんてできるか」「シールの印刷代に金がかかっているらしい。それならたとえ一カ月分でもその予算で各家庭に透明のゴミ袋を配ればいい」「もっと分からんのが、シールを貼った後も一週間置いたままになっていたら、持って帰って来いということ。自分たちに一度貼らせたなら、その袋は絶対に持って帰るなと言いたい」ということである。

 夜の県交流会で、H君は「自分の職場は今の仕事の仕方ではあかんと思う。職場のおっちゃんらに僕ら若いもんが話しても、最後は『ええやん今のままで』とか『わしらもうあと何年かなんや』と言う。でも早く帰ってきて手待ちの時間があるんなら、『ごみが残ってる』って電話があったときに民間会社に電話して頼まなくても、僕らが取りに行ったらいいんですよ。だから当局に『四月からのプラスチック包装類の資源回収の仕事を直営にしろ』って言ってるんです。でも当局は『プラスチック包装の資源回収は元々、業者委託をしている燃えないごみから出ているのでそれは業者の仕事だ』って言う。僕ら若い者は『人増やさんでもええから仕事くれ』って言ってるんです。どうせ何にも考えてないんですよ当局は。そんな考えでセンター自体が民間委託でもされたら僕らどこで働いたらいいんですか」と訴えていた。そして、「僕は人勧とか賃金のこととかよう分からんけど、一番腹立つことは当局が現場のことを何にも分かってないことですよ」と言う。一見、合理化を推進し「働きの悪い人」に目の向く青年と映っていたが、彼の言葉も現実を反映したものだし、そのなかで彼なりの不安や不満を素直に語っていると感じた。

 H君は以前から青年部を再建したいと言っている。「とりあえず、クリーンセンターと保育所で集まって、終わってから飲みに行こかな、そこでざっくばらんに話して…」。飲み会中心ではあるものの、職場の話をしたい、自分たちの職場のことを考えたいと思っている、素直な気持ちには学ぶところが大きい。彼は学習は嫌みたいだ。しかし、今働いている職場から問題を考えようとする姿勢にはとても学ばされる。

 H君は、沖縄視察団にも参加しており、平和友好祭にも参加した。分散会では、「平和のためになぜリレー運動なのかがよく分からない。しかし、戦争がいかに惨いかということを感じているし、死にたくないし、人を殺したくない」と、率直にリレー運動と平和、あるいはオキナワ、ヒロシマとのつながりを話していた。文化交流でも沖縄視察団の報告をし、現地で感じたことを語っていた。「なんでこんなひどいことをするのか、なんで人が人を殺すのか、女性や子供が巻き込まれるのか」と、戦争の悲惨さ非情さを強く訴えていた。その後の自主交流でも、青年部運動で知り合った仲間と話をしており、組合運動の中で現業組合員の団結にくらべて、それ以外の組合員の参加が少ないことに憤慨していた。これも厳しい合理化にさらされている現業職場に働く彼の感じる矛盾なのだと思う。

 自分自身、同盟員としての経験は一〇年になるが、今までどうしても組合役員としての建前が頭から離れず、「こうあるべき」とか「こうであるはず」という思いにとらわれ、ある意味で仲間との距離を感じていた。しかし、民間委託をさせないためにはもっと仕事を取りに行かないといけないと感じているH君の職場での働き様から素直な思いを感じることができる。

 そして、H君には是非とも社青同に入ってもらって一緒にやっていきたいと思うようになってきた。平友祭の夜、思い切ってオルグをしたが、「SY? 何やねんそれ? 全然分からんわ」と言われた。確かに『声』を渡したこともないし、どんな内容かも分からないのに、急に言われても応えられない、率直な感想だったと思う。自分がそれだけ彼にアピールしていないことも事実だ。あっけない結果ではあったが当然の帰結だったかも知れない。自分はあえて真面目な話を避けようとしてしまうが、青年は現実をありのままに受け止めて、しかも素直に感じていることを話してくれている。

 自分がどう考えているのかということを相手にぶつけないことには話は始まらない。H君と一緒に青年部を再建し、職場の話ができる場、一緒に考えていくことのできる場を作り、次の組織を作っていきたいと考えられるようになってきた。職場に一緒に頑張ることのできる仲間がいるかぎり、自分も頑張れる。義理と人情だけでなく、もう少し学ぶこと、話し合うことを通じて、彼にも職場のこと、社青同運動のことを理解してもらえるようにしたい。もう一度そこから始めていきたいと思う。青年の気分を持って三〇代最後の力を振り絞って組織拡大をしたい、自分の仲間を作りたいと考えている――。

 仲間の思いをつかみ、労働者としての関わりや労働組合としての対応で具体的な改良に直ちに結びつくことは容易ではない。しかし、個人個人がバラバラにさせられている事態のなかにいる同盟員が仲間と結びつかないかぎり、改良も改善も進むことはなく、この社会が作り出す矛盾を明らかにすることもできない。

 上記のそれぞれの報告は、具体的に社青同への加盟拡大につながったという報告ではない。しかし、職場で起きている合理化の実態と職場での攻防、青年の率直な思い、仲間のありのままの思いをつかむことによって、同盟員自身の変化、成長につながり、仲間の成長もみることができる。ここから戦線の拡大、仲間の拡大を図っていかなければならない。職場・地域で行われている組織拡大の実践に学び合うことが第二の課題である。

4組織活動の強化

班・委員会活動の強化
 同盟員の実態、仲間の実態、職場の状態を持ちより、それに挑む力を確立する討論と学習の場は班・委員会である。しかし、班会の開催や学習会の開催は、停滞傾向にある。あるいは、多くの地本で地本委員会出席者の固定化や討論が集中されにくい状態がある。人員削減による仕事量の増大、広域配転による集まることの困難さなど、合理化による物理的な障害が生み出されるとともに、運動への展望を見出せなくなったことがその要因である。そのようななかで、広く事実を集約し、学び合うために組織活動の再建と専従者の配置を進めようとしてきた。

 監査委員会からは、全国社青同という組織性を意識したうえで地本の枠を越えたブロック専従態勢という新たな提起もされた。しかし、全国的には、運動の中軸を担う専従者の未配置地本が多数となっているのが現状である。

 H地本でも、会議が長期に開かれずに有名無実化し、当然のように財政も滞る班も生れ、社青同運動の展望を見出すどころか組織整理に着手することをも困難にさせていた。しかし、新たに配置された専従者と地本委員が、四〜五年にわたり活動が停止していた支部に入り、一人ひとりの同盟員へのオルグを展開したことから変化が生まれた。

 ――支部活動が停止したのは、支部役員が高齢化し、会議の呼び掛けや請求書の送付ができなくなったことが原因だった。二年前までは、地本大会に送り出す若い同志のためにと、支部委員長が個々人に会って同盟費だけは集めていたが、支部委員長が代わると、最低限の努力さえできなくなった。常任委員や意識のある同志が会議を行うものの、集まるのは四〜五人(支部は約四〇人)であり、改善が図られず二年が経過していた。

 各同志に会うと社青同同盟員としての思いは変わっていなかった。集まる場がなかったことと仕事に忙殺されていた現状がよく理解できた。職場の大変さや政治への不満を語る同志、労組の運動方針への不満を語る同志、自分の社青同同盟員としての歴史を語る同志など、生き生きと話していた姿が印象に残った。改めて、集まり、討論することが重要だと感じ、同盟員自身も集まり話したいと思っていることが分かった。財政の話になると全員が「迷惑をかけました。すみません」と言った。大先輩から謝られることの連続に少し悲しい思いもした。しかし、「組織財政を整理しよう」という意識は共通しており、その場で現金をくれる同志や脱盟するからには未収金は必ず払うという同志の言葉に、社青同の団結力を感じた。そして、帰る時には決まって「わざわざ職場(自宅の場合もあった)まで足を運ばせてしまってすいませんでした」と言った。それだけ、「やらなきゃいけない、でもできない」という同盟員としてのプレッシャーを感じていたのではないだろうか――。

 新たな専従者の配置をきっかけに財政面の確立が進められているだけでなく、同盟員の実態や思いをつかんだことが、専従者の自信ともなっている。

 もちろん、それは一人ひとりの同盟員にも求められていることであり、班・委員会での討論の活性化が欠かせない。そこで職場の情勢がどれだけ持ちよられるのか、様々な角度から職場を見ることができる委員会討論をどう作っていくのか、また、そうした討論を通じて組織・機関紙の拡大を進めていくことも課題である。

 H地本のみならず、提起している同盟費の値上げと機関紙取り扱いの変更に関わり、数年ぶりの地本大会の開催や地本委員会の再開が進められている地本もある。

 職場の事実を集約し、学び合う班・委員会活動の活性化なくして社青同の組織建設は進まない。班・委員会活動の強化に向けた全国の同志の努力を持ちより組織建設に向けた意思統一を図ろう。

機関紙・財政活動の強化
 中央委員会財政の健全化に向け、一月に同盟費の値上げと同時に同盟員に対する『声』の無料化を提起した。労働者一人ひとりの賃金が削減・抑制され、社会保障費の負担が増大するなかで、組織拡大にも影響を与えかねない重要な内容である。

 前回大会では『声』の週刊化を決定し、『声』の活用から組織建設を図ることとしてきた。実態は、週刊化に伴う発送作業の負担、活用方法の不十分さといったマイナス面が報告されている。一方、毎週、支部と班が交替で発送作業を行い、「発送も大事だが集まることが大切。年齢が高くなっても議論することが楽しい」と、『声』を使った古典学習と職場実態を持ち寄り班会が行われている地本もある。発送作業に合わせた班会や学習会といった「集まる場」がつくられ、機関紙財政健全化に向けた『声』購読者の再点検活動も行われるなどのプラス面も存在している。

 今大会までに二次にわたり、全同盟員への討議資料を配布し、『声』週刊化の総括、そして、同盟員に対する『声』の無料化と同盟費の値上げといった機関紙・財政活動の強化を提起してきた。しかし、「値上げ」「無料化」といったことだけに注目してしまい、『声』の果たす役割、その活用方法が議論されていないのも実態である。全国の情勢をつかみ、仲間の実態・討論・実践から学び合うことのできる機関紙活動の意義を確認し、班・委員会で集約されてきた組織拡大に向けた討論を、全国大会の小委員会では深めていきたい。

5議案討論にあたって

 大会に向けた総括運動を進めるために、「報告し、集約し、学び合う」委員会制度のもとで、この2年間の実践、努力を検証し、共に学び合うことが求められている。

 大会では、第一に、職場で起きている事実、仲間の実態や同盟員の思いを集約し、階級対立がどう貫かれてきたのかを明らかにし、今日の情勢認識を共有化することが必要である。そして、困難ななかでも、生命と権利を守る闘いがどのように職場で展開され、抵抗闘争や改良闘争が実践されてきたのかを全体で学び合いたい。

 第二に、決してうまくは進んでいない現実のなかで、共闘運動や青年部運動、労働運動の強化がどのように実践され、仲間や同盟員自身の成長が勝ち取られてきたのか交流していきたい。

 第三に、組織建設に向けてである。今大会までに同盟費の値上げ、機関紙取り扱いの変更が提起されている。班・支部・委員会の討論を踏まえ組織建設に向けた方針を確認していきたい。

 全国大会までに各級委員会での討論を積み上げ、引き続く地本大会も含めて「古典、資本、仲間」に学ぶ組織として、総括運動を深めていこう。大会議案書だけで全国の同志の奮闘を網羅することはできない。議案内容の不十分な点も含めて、全国の同志の総括運動を通した大会討論で補強していこう。