昭和二十六年結成いらい、日本の社会主義運動において、つねにマルクス・レーニン主義の正統の旗をかかげ、その思想的影響と理論的指導において不抜の力を示してきた社会主義協会の歴史的伝統と性格は、すぐる第八回大会においていわゆる別党化、党内派閥化を目指す人々の手による規約第二条の修正によって、事実上変質させられた。
大内兵衛、向坂逸郎両代表は、抗議の意をもって、代表辞任を大会において表明した。
しかし、協会機関を利用する分派指導者は、この本質を歪曲し、社会主義協会の基本的性格を中央委員会などの機関で正しく討論し、その過程で、思想的統一をはかろうという多数の同志のいっさいの要求をふみにじり、自らの分派の利益のための工作に終始した。
社会主義協会が、社会党および労働組合の階級的強化において果たしてきたもっとも重要な役割は、思想闘争の推進である。それは社会主義協会が、マルクス・レーニン主義の日本における具体的適用においてもっともすぐれ、正しい現状分析にもとづく戦略と戦術の確立をなしえたということによる。
われわれ協会の使命は、政治戦線、労働戦線、農民戦線、理論戦線という社会主義運動のあらゆる部署に属する全協会員が、われわれのテーゼ「勝利の展望」のもとに結集し理論を研鑽し、思想を高め、それそれの所属する場において、もっとも果敢にもっとも献身的にたたかうことにあると考える。
第八回大会の討論や規約第二条修正に示された、社会主義運動における理論の役割を軽視し、協会を人事派閥の道具にする党内派閥化コースや、協会決定を党決定に優先させるがごとき別党化コースは、われわれのとるところではない。規約第二条の修正をはかった分派は、すでに山川均以来正しくひきつがれた社会主義協会ではない。
いまや社会主義協会は、まったくその統一的指導機能を停止し、分派の機関と化したのである。
しかし、昭和四十五年の安保再改定を前にし、日本労働運動にあらわれた右傾化や、日本社会党の危機を目前にした時、多くの自覚ある同志は、この事態を黙視することはできず、いまこそ社会主義協会は本来の使命にたちかえり、思想の武器をもって、協会再建に組織的にとりくむことを決意した。
われわれは、いまや日本の社会主義運動の思想的中核たるべき社会主義協会の組織的再建に、力強い一歩をふみだしたのである。「いっさいの狐疑をここにすてよ、あらゆる怯儒はここに滅びよ。」
今日日本社会党の危機を克服しうるものは、派閥均衡をもくろむ「挙党一致人事」や、技術主義的な機構改革ではない。社会党における科学的社会主義にもとづく思想的統一こそ唯一の道である。そのことをなしうるかいなかは、いまやわれわれの肩にかかっている。
今日社会主義協会再建準備会に結集したわれわれは、協会再建の方途について明るい展望をもって、大内兵衛、向坂逸郎両代表を先頭に結束し、いまからただちにその事業に着手することを全国の同志諸君に宣言する。
昭和四十二年八月十三日
社会主義協会再建準備会
声明
*社会主義協会分裂の際、大内兵衛・向坂逸郎らの側が出した再建声明。『社会主義』1967年9−10合併号(再建1号)の巻頭に掲載。使用したテキストは社会主義協会創立30周年記念出版の復刻版。
画像は『社会主義』再建創刊号表紙。