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 日本婦人会議設立趣意書・結成大会宣言

  *出典は日本社会党結党四十周年記念出版『資料日本社会党四十年史』
(日本社会党中央本部  一九八六.七)。
日本婦人会議結成大会 一九六二年四月一四日

●日本婦人会議設立趣意書

 戦後、平和と民主主義と人権尊重の新しい憲法が制定され、私たち婦人にも参政権が与えられてから、すでに十五年の月日がたちました。

 この間、この新憲法の実施のために、政府も国民も真剣に努力を払って来たでしようか。
 今日、平和と民主主義を守るという言葉は、あらゆる階層の人々が軽く□にいたしますが、現実はむしろ逆コースを辿るかと思われるような一連の反動的傾向がみられます。とくに憲法の担い手である歴代の政府自らが憲法をふみにじることに腐心しているかのようで、いまはおおっぴらに再軍備の道へ進みつつあります。

 また敗戦の混乱と疲弊の中から建直った日本経済は、最近とくにめざましい成長を示し、街には新しいビルが林立し、山野が切り開かれて、近代的な工場がまたたく間に建設され、大都市では自動車の波が交通をマヒさせ、農村には耕運機が取入れられ、休日には着かざった人々が遊覧地にあふれて、一見すると、まるで貧困や失業などなくなってしまったような錯覚すら与えられます。

  しかし、私たちの日常生活をふりかえってみますと、たしかに、多くの家庭にテレビや電気器具がもちこまれ、一般的にみて服装もよくなり、食生活も向上してはまいりましたが、これは一寸物価が上れば直ぐ安定をかくような底の浅いものであり、相対的にみた場合、所得の高いものはますます高くなり、低い層の人との間の貧富の差が高まりつつあることはみのがせません。自家用車を持つ人がいる半面、依然として生活も容易でない家庭が沢山あり、なかには高賃金やボーナス景気に浮かれる人もあるかと思えば、三、四百円の日当にありつけない失業者、半失業者、母子家庭が多数現存しています。新卒の求人難が伝えられる半面、中年、老年層とくに中年婦人の就職難の解決は容易ではありません。

 また合理化のしわよせを最も強くうけるのは婦人労働者で、封建的な男女の差別はあらゆる職場の中に残存しており、これを克服することはこれまた容易ではありません。

 このような情勢の中で、私たちは、平和や失業の問題をはじめ、子供の教育の問題、また医療の問題、老後問題にしましても、私たち一人一人の努力には限界があり、どうにもできない壁に突きあたります。そして、その大部分が政治のあり方につながることを、今更に想い起さざるをえません。

 このことは結局、日本の指導権が、現在の状態を維持温存して行こうという保守勢力によって握られ、金力や権力に奉仕する政治が行われる半面革新勢力が弱いということに起因するのではないでしょう
 私たちは、このような現状をただあきらめ、傍観しているのでなく、自ら進んでこの社会のしくみ、政治や経済のあり方を勉強し、みんなが手をとり合って、憲法に示されている真に平和で民主的な社会、婦人や子供が本当に幸福に暮せる世の中の実現のために、私たちの力を結集して行こうではありませんか。これはまた参政権を与えられた私たち婦人の権利でもあり、責任でもあると思います。

 ここにひろく全国の婦人の皆さんに、日本婦人会議の組織をもつことを提唱し、協力をお願い致します。
結成準備委員
小畑マサエ 岸本千代子 小川玉子 藤巻美代 山本まき子 野口政子 千葉千代世
石倉千代子 三宅操   桐原真知子

●大会宣言
 いま、私達の手は国く結ばれました。
 日本婦人会議の旗の下に!!
 私達は瞳をこらして真実の道を歩むために結ばれました。

 思い出して下さい!!
 十五年前、戦争と一切の戦争準備をしないことを憲法九条は全国民の名において宣言いたしました。
 誰一人不当な差別を受けることなく、子供のよい成長の為に平和な社会を築き上げようと、全国民の義務として宣言いたしました。

 だが、その日から十五年経た今日、私達は女として、母として、一層深刻な生活に直面し、子供の幸福の保障も崩れつつあります。
 毎年のようにに軍備費はふくれ上り、核武装さえ進められております。
 平和憲法の根本的改悪さえも進められております。

 私達婦人は、いまこそ広く国く手を結んで、婦人の権利と子供の幸せの為に、一切の戦争政策に抵抗して、私達の手で平和を守りぬくことを誓い合いましょう。

 日本の子供の幸福万歳!
 日本の婦人の権利万歳!
 日本の独立と平和万歳!!
 右宣言いたします。

  昭和三十七年四月十四日
                     日本婦人会議結成大会